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「そいつは、まあ、なんだな
……
。
」
、
「まあ、いいじゃないか。
< br>」
「まあ、一杯。
」
「まあ、<
/p>
そんなに遠慮せずに。
」
、
「まあ、待ちなさい。
」
、
「まあ、ひどい!
」
……
。
日本語の中で、いちばん便利な言葉は、
「まあ
」という慣用語であろう。便利ということ
は、多義語ということである。
つまり、
どんな場合にも、いろいろな形で使うことができ
< br>るということだ。
「そいつは、まあ、なんだな
……
p>
。
」というときの「まあ」は、いわば語
句
の間に挿入される間投詞とみてよかろうが、
「まあ、
いいじゃ
ないか。
」
という場合の
「ま
あ」は、相手を促す意味を持っている。次の「まあ、一杯。
」も同様だ
が、こちらの原義
は、
「先ず。
」とい
うことであろう。次の「まあ、遠慮せずに。
」
「まあ、待ちな
さい。
」と
いうときの「まあ」は逆に相手を制止する用法で、
最後の「まあ、ひどい!
」の場合は感
嘆詞といってよかろう。
こんなふうに
「まあ」
はさまざま形で使われ、
しかも、
その間に微妙な意
味の濃淡がある。
さらにその「まあ」を二つ重ねて「まあまあ」となると、之はとうて
い厳密に意味を分析
できない日本語どくどくの表現となる。
「
お元気です?」
ときかれて、
「ええ、まあまあで
す。
」と答えれば、特別に異状のないことを表し、
「明日の天気はまあまあでしょう。
」と
言えば、
快晴というわれではないが、
さりとて雨が降るほど悪くもないと言う意味で
ある。
しいて英語に訳せば、
not
bad
(悪くない)ということになろうか。
「まあ」と同様、
「まあまあ」は相手を促したり、制止したりするときにも盛んに使
われる。<
/p>
「まあ、
ひどい!
」
と相手が怒った時、
「まあまあ、
そう怒らないで。
」
となだめる。
相手の「まあ」は感嘆詞だが
、それを制止する「まあまあ」のほうは副詞的用法となる。
だが、
その
「まあまあ」
も感嘆詞とし
ても使われるのだからなんともややこしい。
例えば、
「まあま
あ、
それはよかった!
」
、
あるいは、
「まあまあ、
そいつはとんだ災難だっ
たねえ。
」
などというときの「まあまあ」は明らかに感嘆詞と
いってよかろう。
更に、
「まあまあ
」には、だいたい、という意味もある。
「試験はどうだった?」ときかれ
て、
「まあまあです」と言えば、だいたいできたということである。では、
そのような場
合のだいたいとはどの程度なのだろうか。国語辞典によれば、
「かなりの程度」と言うこ
とだが、
それなら、<
/p>
かなりとはどのくらいなのか、
と更に理詰めで追求されればけっ
して
明確には答えられない。
あとは感じに頼るだけである。<
/p>
したがって、
日本人の間で暗黙の
うちに
了解されているその程度をつかまない限り、
このような表現は正確な情報を伝え得
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ないと言うことになる。一体、その「程度」とは、どのくらいの程度なのか。
いつごろ、だれが決
めたのか分からないが、我が国に「日本三景」というのがある。
日本の中で最も美しい
と思われる三つの景勝地を選んだもので、周知のように宮城県の
「松島」
、京都府の「天ノ橋立」
、そして広島県の「宮島」である。おそらく中国の
「瀟湘
八景」
とか
「西湖十景」などに
ならって、
室町期か江戸時代にだれが言うともなく人の口
に上
るようになったものの違いない。
それはともかく、この「三景」
を思い浮かべてみると、
そこに共通した性格があるこ
とに気づく。
第
一に、
いずれも海辺の景色であるということだ。
日本列島には
まるで背骨
のように山脈が南から北まで走り、
日本を日本海と
太平洋側の二つに分けている。
ほとん
どが山といってもいいほ
どなのに、
「三景」の中に一つも山の風景が入っていない。これ
は誠に奇妙なことではないか。
第二に、
その海岸の景色が皆穏やかな内海に望むこぢんまりと
した浜で、
すぐ目の前
に小さな島、
あ
るいは州が見えるといった景観であることだ。
逆巻く波が打ち寄せる雄大
な海岸線はまったく見捨てられている。
「三景」に限らない。日本人が名所
や歌枕として
めでる風景は、例えば「須磨.明石」にしろ、高知県の「桂浜」にしろ、
伊勢の「二見け
浦」にしろ、秋田県の「象潟」にしろ、岩手県の「浄土ヶ浜」にしろ、
そのすべてが同工
異曲の眺めである。
海といっても男性的な荒
海ではなく、
女性的な優しい入り江に日本人
は心引かれるので
ある。
なぜなのであろうか。
おそらくは日本民族が体験した太古の記憶が無意識のうちにこ<
/p>
のような景色をこのうえなく美しく、懐かしい思いに誘うに違いない。日本人はその昔、
南太平洋の島々、
あるいは東南アジア、
中国の江南地方、
朝鮮半島などからさまざまなコ
ースを経て
日本列島にやってきた。
原始的な小船を操ってのその航海は、
実に恐ろしい体
験だったに違いない.
どれほど多くの犠牲者が
出たことであろうか。
大洋を漂流する彼ら
が、
ただひたすら求め続けたのは島影だった。
そして波を避け島に上陸することの
できる
入り江だったはずである。
おそらく、
< br>そうした太古の記憶が懐かしいイメージとなってあ
の「日本三景」結晶している
のではなかろうか。
荒海を乗り切ってこの列島にたどり着いた日本人、
そして海に取り巻かれ
ながら生活
を重ねてきた日本民族、
当然日本人は海洋民族にな
ってしかるべきである。
なぜなら、
日
本人は二度と再び恐ろしい海へ乗り出そうとはしなかったからである。
むろん、
海洋への
冒険を試みた日本人がいないではなかった。しかし、それは
極めてわずかな例に過ぎず、
バイキングとして海をのし歩いた北欧人や、
大航海時代を現出させたスペイン、
ポルトガ
ル、<
/p>
イタリアなどの民や、
七つの海を制覇したイギリス人、
更には海洋貿易に活躍したイ
ンド人や中国などと比べれば日本人はまっ
たく海を相手にしなかったと言ってもいい。
そ
んな訳で山崎正
和氏は日本人を海洋民族ならぬ海岸民族だと評している。
まさしくそのと
おりだと思う。
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では、
なぜそうだったのか、
日本という島
があまりに住み心地よかったからではある
まいか。温暖で湿潤な気候、変化に富んだ山
河、
外敵侵入のおそれのない安全な島国、こ
んな快適な国土に
住み着いたのに、
どうして今更海へ出ていくことがあろう。
こ
こで仲よ
く暮らせばそれで十分ではないか。
あの恐ろしい航海
体験を、
なんで改めて試みることが
あろうか。海のかなたには
、もっとすばらしい未知の土地があるかも知れない。しかし、
欲を出せばきりのない話
だ。
この島で結構。
ここで安んじて暮らすにしくはない。
p>
こうし
て日本人は太古の記憶を甘美な思い出として胸に抱きながら
、
それ以上を望まなかったの
である。
「日本三景」はこのような日本人の気質を何よりも正直に語っているのだ。
とはいえ、
この小さな島に住み着いた人たちがなんの争いもなく平穏に暮らせたとい
うわけでは
けっしてない。この島国の中で、日本人は幾多の戦乱を経験してきた。だが、
いくら争
ってみても、
周りが海なのであるから逃げ出す訳にはいかない。
最終的には何ら
かの形で敵と妥協し、共存する道を探らねばならながった。必要なこ
とは、
「分に安んじ
る」ことであり、それによって「和」を保
つことだった。
「分に安んじる」とは、必ずし
も「身分に安ん
じる」ことばかりではない。
相手のいい分に安んじることでもあり、
< br>常に
一定の限度を守ることでもある。それがなによりも、
「和」に必要なのだ。一定の限度を
守るということは、それ以上を望まぬということ
である。己を抑制することである。
そんな訳で日本人は、<
/p>
自分をやたらに主張してはいけない、
そして、
< br>物事をあからさまに
すべきではない、
と考えるようにな
った。
自分を主張すれば、
当然相手の主張とぶつかる
ことになるし、
物事をはっきりさせれば、
いや
おうなく相手との食い違いが出てくるから
である。そうなれば争わざるを得なくなる。
日本人はそれを何よりも恐れたのだ。
そう、
日
本人は本質的に争いを好まず、
自然の運行のようにすべてがうまくいくの
を期待し、
確信している極めて楽観的な、
そして同
時に悲観的な民族なのである。
楽観的
であるとともに悲観的、
というのは、
その楽観が、
実は悲観の
上に成り立っているからで
ある。つまり、この世の中はけっして自分の思っているよう
にはうまくいかないものだ、
という前提の下に日本人の判断は構成されているのである
。
<
/p>
かつてわたしは将棋の大山名人にきいたことがある。
将棋の対局
で、
しばしば二時
間に及ぶほどの
「長
考」
がなされることがある。
一体、
ど
ういう局面でそのような
「長考」
をするんですか。
すると大山名人は言下に、
「
あまりにもうまくいき過
ぎているときです。
」
と答えた。
わた
しは意表をつかれ、思わず、
「え、それはまた、どういうわけです?」と尋ねた。
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大山名人の返事はこうであった。
「だいたい、
物事はそんなにうまくいくわけがないからですよ。
それなのに妙にう
まくいきすぎるというのは、
どこかに落とし穴があるからです。
それに欺かれないために、
うんと考え込むんですね。
」
わたしはえらく感心した。
さすが一芸にひいでた名人の言葉で
ある。
これは将棋に
限らず人生全般についていえることではな
いか。
と、
そう思いつつ、
わたしはこ
うした確
信こそ、紛れもなく日本的な信条であることに気づいたのだった。
どんな人間も常に世界にある期待を持って対している。どれほど世界に期待する
か、
その期待の大きさで人々世界観は違ってくる。
実際以上
の期待を抱くか、
実際に見合
った期待を寄せるか、
それとも実際以下に期待を抑制するか、
それによって理想主義、
現
実主義、悲観主義が分かれるのである。
だが
、実際以上に期待すれば、当然その期待は裏
切られることが多い、
逆に実際以下に期待を抑えれば、
期待を裏切られる苦痛からは免れ
ることができよう。
日本人は後者を選ぶのである。
こ
の意味で日本人は極めて臆病であり、
小心であるといってもよい。
日本人は楽観的であるとともに悲観的であり、
楽観が悲観の
上に成り立っていると私がいったのはこの故である。
期するところを少なくすれば、
苦痛
はそれだけ軽減される。
すべてに
一応満足していられる。
これが日本人の基本的な精神の
構えで
ある。そして、これをみごとに言い当てているのが、ほかならぬ「まあまあ」とい
う日
本語のあいまいな副詞なのだ。
「まあまあ」
という言葉は、
前記のように実に多様に使われているが、その本質は
抑制にある。<
/p>
「まあまあ、そう怒らずに。
」
「まあま
あ、いいじゃないか。
」
「まあまあ、そ
んなもんだよ。
」
「まあまあのできだな。
< br>」
「まあまあありがたいと思わなくちゃ。
」
これらはいずれも、
自分が実際以下に設定した
期待をそのまま言い表している、
期待は常
に大きくなりがちで
ある。
ともすれば肥大してゆく期待に対して、
日本人羽織に触
れては
それを抑制する。
そして期待を抑制することによって、
改めて一応の満足を得るのである。
「人生とは、まあまあ、そ
んなもんだよ。
」と再認識することによって。したがって、
「
ま
あまあ」はアメリカふうに言うならば、
take it e
asy!
ということになろう。よく言われる日
本人の
「まあまあ主義」
とは、
実際以上に期待を持て
ば不満もあろうが、
期待を実際以下
に設定し直しなさい。
p>
そうすればなんとか満足が得られますよ、
と言う人生哲学だといっ
てもよい。
そして、
その哲学をイメー
ジで表すならば、
大海の一部を優しく抱いたあのさ
さやかな入
り江の景色、
「日本三景」になるのではなかろうか。
日本人
に愛好まされる俳人一茶は、死を前にして、こんな句を残した。
是がまあつひの栖か雪五尺
“那家伙,哎,说什么好呢!
”
p>
,
“哎,不是很好吗?”
,
“唉,喝一杯
吧!
”
,
“唉,不要那么客气嘛!
”
,
“唉,等等吧!
”
,
“啊,太过分
了!
”
。
在日语中最方便的词语就属“まあ”这个惯用词了吧!所谓
方便的就是它
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