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第二課
命をかけて
今から六十年ほど前、明治二十八年八月のことです。
富士山の頂,
剣の峰に、
不思議な小屋が建て
られました。
南北約五?
五メートル、
高さ約三メートルの木造の平屋です屋根には,
カタツ
ムリの角
のように、
棒が行く本も突き出ていました。
小屋の上の岩
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の上には、お碗のようなものが、くるくる回っていました。家の周
りは、冬に供えて、石でしっかりと囲まれていま
「和田先生
、おかげさまで、とうとうできました。
」
< br>未だ若い野中到は、尐し興奮して、頬を赤らめながら、うれしそ
うに言いました
。
「運、できた。とうとう日本にも高山気象観測所画できた
。全く
野中のおかげだ。
」
そう答えたのは、
中央気象台の天気予報課長の和田雄治技師でし
た。
「いいえ、何もかも先生のおかげです」
この時まで、
日本のどこにも高山気象観測所はありませんでした。
外国では前から、
アルプスのモンブランにも、
南アメ
リカのミスチ
ー山にもあって、一年中気象の様子が詳しく調べられていました。
高い所の気象が分かれなければ、漁業や農業?交通等、大切な仕事
に
役に立つ正しい天気予報はできません。
気象観測の重要性を知った野中到は、三十三歳のとき、
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「どうかして、日本にも気象観測所を作りたい。
」と考えて、和<
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田技師を尋ね、気象学の勉強から始めました。
そして、
七年後の今日、とうとう富士山の頂に、その私設観測所
を創設下のです。
和田技師野指導で、
必要な器械類
の備え付けをし
て、
これからの観測の仕方についても、
いろいろ注意をうけました。
「さあ、この
一冬を、ここでしっかりがんばるぞ。
」
長年の願いがかなった到は、
喜び勇んで、
妻の千代子と三
歳にな
る長女を東京に置いて、明治二十八年の九月三十日、今度は、ただ
一人で、この私設観測所へのぼってきました。そして、次の日の十
月一日か
ら、日本最初野高山気象観測を始めたのです。
世間の人たちは、目を丸くして、おどろきました。
「富士山の天辺で一冬越すなんて、
死にに行くようなものだ。
野
中さんは、気でもたのではないか。
」
確かに、
そのころ、
冬を目指して富士山に登るなどということは、
思いもよらない事でした。冬になると
、山の頂と下界とは、全くき
りはなされてしまうのです。病気になっても、医者どころ
か、水い
っぱい運んでくれるものもありません。
万一のことを
思って、
和田
技師をはじめ、
気象台の
人々は心配しながら、
到の熱心なこの企て
の成功を心から祈っ
ていました。
十月の晴れた日の富士山の頂上からの眺めは、
本当にすばらしい
ものでした。北には、富士五湖が青々と水を
たたえ、南には伊豆の
山々が連なって見えました。山すその延びたところには、静浦、
田
子の浦?三保の松原?清水港等が、一望のもとに見下ろせて、その
< br>美しい眺めが、一人ぼっちの到の心を楽しませてくれました。
ところが、
十月も過ぎると、
雪が降り出して、
山の上は厳冬の季
節に変わっていきました。半月ほど経ったある日の
事です。突然、
妻の千代子が、
強力たちに支えられるようにし
て、
山の頂上へ登っ
てきました。
何の用で来たんだ。
到は、驚いてたずねました。
「お手伝いにまいりました。
」
「子供は?」
「九州の親元に預けてきました。
」
「そうか。
でも、
、
< br>ここはとても女のいられるところではないぞ。
すぐ戻ってくれ。
」
「いいえ、あなたのそばで働きます。私だって、
何かのお役には
きっと立つでしょう。
」
千代子は、
命をかけた夫の仕事を助けたいと、
固い決心でここま
で登ってきたのでした。
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二人きりの、
雲の上の明けくれが始まりました。
< br>今まで到一人の
時は、
一日に時間おきに十二回の観測と
その処理、
そして次の準備
から食事の支度で、休む暇もありま
せんでした。けれども、妻が来
てから、食事の苦労がなくなりました。観測の記録も、
忠実に手伝
ってくれました。
「やは
り、いとりより、二人のほうが仕事がはかどる、千代子が
着てくれて本当に助かった。
」
到は心の中で感謝しました。
こうし
て、
、
一ヶ月は無事に観測を続けていくことができました。<
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ところが、十一月に入ると、来る日も来る日も、強風が鳴り続け、
粉雪が渦を巻いて荒れ狂いました。
小屋は雪に埋まって、
気
温は氷
点下八度、九度、十度と、どんどん下がっていきました。
そして十一月の中ごろには、
妻の千代子が扁桃腺炎二なっ
て、
四
十度の熱にいく日も苦しみました。
それが直って、
ほっとしたのも
つかの間、
妻の体がむくんでました。
空気の薄さから高山病にかか
ったのです。手当ての施しようがありません。
「かわいそ
うな千代子、次は私の番だ。だか、倒れてもやるぞ。
」
到は、妻の看病をしながら、観測を続けていきました。
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すると、どうしたことでしょう。十二月に入ると、妻の病気は
次第
によくなって、元どおりの元気な体になりました。
「ありが
たい、これで仕事が無事に進むぞ。
」
到はほっと安心しました。
ところが
、
妻の病気が治ったかと思うと、
今度は到の体がむくん
ではれ上がり、高い熱に苦しむようになりました。
「なあに、心配することはない。千代子と同じように、そのうち
に直る。
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」
到はそう思いました。
けれども、
病気は日増しに重くなっていき
ました。<
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野菜の不足から来る重い脚気になったとは、
気が付かなか
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