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《石狩川》双语
石
狩川
(
いしかりがわ
)
その翌朝
?
札幌の郊外からしばらく軽便ガソリン車で運ばれてゆくと、
やがて石狩川の
草のおい繁った岸にいるのであった。
午前の陽は翳
(
かげ
)
って、かわの水が黒
黒と葦のあいだをあわただしく流れていた。
石狩川に行くにはここから発動機船に乗るのであった。
唖
(
おし
)
の
ように黙黙と、し
かもなにか騒騒
(
そ
うぞう
)
しい音をたて
?
暗い水は波打ちながらかなりの速度でながれさ
ってゆくのである。
岸には
p>
?
一丈ほどもある虎杖
(
< br>いたどり
)
の掌
(
て
)
のような形の大きい葉が一面に河面
(
かわづら
)
に向かって
、蔽
(
おお
)
いかぶさっていた。船着場
(
ふなつきば
)
の近くには、葦
が水のなかに浸
(
ひた
)
って頭ばかり頼りなく水面に戦
(
おのの
)
き
、
水底に深く緑色の葉や
茎が揺れ動いて見えた。
壊れかかったバ
ラック建ての休憩所があって、漁夫らしい身拵
(
みごしら
p>
)
えをした中
年の逞しい大男と
?
紺の脚絆
(
きゃはん<
/p>
)
をつけ小さな荷を負った行商人風の若い男とが腰
掛けていた。それと私がこの茨戸
(
ばらと
)
から石狩町にいく客の全部であった。
伊藤
整
「石狩」
石狩川
次日清晨,从札幌郊外坐了一会儿简易汽车,马上就被送到了石狩川野草茂盛的岸边。<
/p>
上午的太阳昏沉沉的,黑黑的河水在芦苇丛中急逝而去。
要去石狩川则一定要在
这里乘坐机帆船。发暗的河水像哑巴一样默默无言,但又好像在发出某种吵闹
声似的拍打
着波浪,飞速流去。
岸边,
一丈来高的虎杖对着河面张开它那手掌形状的大叶子遮住
了河沿。
码头附近,
芦苇浸泡在水中,
只露出个脑袋无助地战栗着,水底深处绿色的叶片和苇杆摇摇晃晃,清晰可见。
一个岌岌可危的木板钉
成的休息室里,坐着一位渔夫模样的中年大汉和一位扎着藏青色绑腿、背着个
小包裹像是
跑单帮做小买卖的年轻男子。再加上我就是从茨户去石狩町的所有旅客了。
伊藤
整
《石狩》
注:
石狩川是日本北海道的第一
大河,发源于石狩岳,横贯石狩平原,全长
262
公里,流域面
极约为一
万四千平方公里。日本是一个岛国,国土狭长,并且中部地区多位东西走向的山
脉,因此,河流一般都比
较短,像石狩川这么长的河流,在日本人的心目当中可谓是长河
了。
《芒草穗》双语
ススキの穂
ススキの穂も、暖かい国では
仲秋の名月に間に合わぬが、秋風の早く訪れる高原地帯
で、
秋
風を待つ舞台装置ででもあるかのように、
銀灰色の穂並みを早くからそろえる。
始
末におえぬ雑草だが、
青い山並みを背景に
ススキの穂のそよぐのは、
日本の秋になくては
ならぬ風物だ。
それに竹やクズとともに川岸やがけっぷちの土を根で固めるのが重宝
(
ち
ょうほう
)
でもある。
p>
荒垣
秀雄
「天声人語」
芒草穗
在南国,芒草穗子甚至赶不上那中秋的明月,但要是在秋风早早光顾的高原地带,它也<
/p>
就好像是等待着秋风上场的舞台布景似的,早早地、齐崭崭地排开那银灰色的阵势。虽说它
是不好对付的杂草,但它那在青山翠岭背景下的瑟瑟身姿,却是日本的秋天里不可或缺风
景。
与此同时,它还是与竹子以及葛藤一起用自己的根来固定河岸、崖边泥土的宝贝。<
/p>
荒垣
秀雄
《天声人语》
《波》双语
今、
浜辺に打ち寄せてる波は、
いつからとも数えられないほどの、
遠い昔から、
同じ調べ
を繰り返している。
数えら切れないほどの、
遠い昔から今日まで、
同じ調
べを繰り返して
いる波は、
じつに、
の
んびりしたものである。
よくもああ続くと思えるくらいである。
単
調ではあるが、
屈託
(
くったく
)
がない。
おそ
らくは、
自然のままに動いているからであろ
う。もっとも、時
には、大波が打ち寄せたり、津波が襲ったりすることもあるが、それは
日常のことでは
ない。
そして、
それもまた、
自然の一
つのあらわれだと思うと、
どうにも
不服は言えない。自然には
、企
(
たくら
)
みがないからである。権力を振り回したり、利を
むさぼるということがないからであ
る。
それだから、自然に対すると、おのずから心がなごむのであろう。
山本
(
やまもと
)
有三
< br>(
ゆうぞう
)
「無事
(
ぶじ
)
の人
(
ひと
)
」
作者紹介:
山本
有三(
1887
~
1974
)小説家、劇作家、本名勇造。栃木県生まれ。東京大学独
文学科を卒業。在学中、芥川竜之介、菊池寛らと第三次「新思潮」を創刊。はじめ劇作家
として出発し、
ヨーロッパ近代劇に学んだ手法を取り入れ、
リ?リズムを基調として問題
劇を発表した。
大正末ご
ろから小説に転じ、
人道主義的理想主義の立場から親子、
夫婦
の
問題や社会問題を取り上げて、
人間いかに生きるべきか、<
/p>
人生の真実は何か、
を追求した
作品を書
くようになった。
戦後は参議院として活動する一方、
国語国字
改革に力を尽くし
た。
昭和
40
年文化勲章。
主な作品に、
「嬰児殺し」、<
/p>
「生きとし生けるもの」
、
「波」
、
「女の一生」、「真実一路」、「路傍の石」などがある。
波
眼前那拍岸而来的波涛
,其实是在重复着遥不可数的远古以来同样的节奏。自遥不可数的远古直到今
天重复着同
样节奏的波浪,其实是悠闲自在的。也真亏它坚持了那么久。那么单调,却乐此不彼。也许只
是一种自然而然的运动吧。当然,时而会有惊涛拍岸,甚至是动地而来海啸,但那毕竟并非日常所见。同 p>
时,只要认识到那也是自然的一种表现形态,也就没什么可抱怨的了。因为大自然是没有任何
企图的。它
不会滥用权力以贪私利的。
正因为这样,面对自然,我们的心
态也就自然而然地平和起来了。
山本
有三
《平安的人》
作者介绍:
山本
有三(
1887~1974
)小说家、剧作家,本名勇造。枥木县出生。东京大学德文科毕
p>
业。在校期间就与芥川龙之介、菊池宽等创刊了《新思潮》。他最初是以剧作家而崭露头角的
,他引入了
从欧洲现代剧中所学到的手法,发表了以现实主义为基调的问题剧。自大正末
年起转入小说创作,他从人
道主义的理想主义立场出发,择取亲子、夫妻间的问题和社会
问题,创作了探索人应该如何生活以及人生
真谛的作品。
战后在
参议院活动的同时致力于国语国字的改革。
昭和
10
年获文化勋章。
主要作品有:
《杀
婴》、《生活》、《波》、《女人的一生》、《始终真实》、《路旁的石头》等。
《雪国小站》双语
雪国の停車場
国境の長いトンネルをぬけると雪国であった。夜の底が
しろくなった。信号所に汽車
がとまった。むこうがわの座席から娘がたってきて、島村
の前のガラス窓をおとした。
<
/p>
雪の冷気がながれこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶように、『駅長さ<
/p>
あん、
駅長さあん。
』
< br>明かりをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、
襟巻きで鼻のうえま
で包み、耳に帽子の毛皮
(
けがわ
< br>)
をたれていた。
もうそんなさむさかと島村は外をながめると、鉄道の官
舎らしいバラックが山裾に寒
寒とちらばっているだけで、雪の色はそこまでいかぬうち
に、闇に呑まれていた。
『駅長さん、わたしです。御機嫌よろしゅうございます。』
『ああ、葉子さんじゃない
か。おかえりかい。またさむくなったよ。
川端
康成
「雪国」
雪国小站
钻过两县交界处长长的隧道,前面便是雪国。夜幕
下已然是一片银白。火车在信号灯处停了下来。
对面座位上的一位姑娘站起身来,打开了岛村前面
的玻璃窗。瞬时,一股冰雪的寒气
“
呼
”
地一下涌入
了车厢。姑娘极力将身子探出窗外,朝着远处扯开
了嗓门:
“
站长大叔!站长大叔!
”
一个男人手里提着盏灯慢吞吞地踏着雪走过来,围巾包到了他鼻子上面,耳朵上耷拉着皮
帽耳。
已经冷得这种样子了吗?岛
村朝外望去,只见好像是铁路员工宿舍的简易小木房孤零零地散落在山脚下,
雪色还没能
延伸到那儿就被黑夜吞没了。
“
站长大叔,是我啊。您还好吗?
”
“
哟,这不是叶子姑娘吗?你回来啦。天又冷起来啦。
”
川端
康成
《雪国》
《春暖迟迟》双语
春暖遅遅
(
しゅんだんちち
)
都会では忙しそうに暮らしていると、季節の感覚がにぶ
くなる。少々薄手すぎるかと
思った冬のコートが気にならなくなったり、
厚手のオーバーが急に重たく感じる日があっ
たときに、ふと気づく程度であ
ろう。が、注意深くあたりを見回すと、たしかに、今日が
昨日の冬ならずだ。日の色に
微妙な変化がある。
空き地のガラクタにも、春は淡く、だが間違いなく輝いている。トタン屋根や高層ビ
ルのガラスにも、
それを反射する日の色は、
先
日までの光とは違っているような感じられ
る。
厳しい寒さが何
度もぶり返し、
春暖遅遅とした中で、
その詐術
(
さじゅつ
)
に少しもだ
p>
まされない自然の歩みは、
驚異というほかない。
< br>「花枝動かんと欲して春風寒し」
(王維)
といった余寒
はまだまだ続くだろうが、
冬は次第に老いを見せ、
幼い春に少
しずつ路をあ
けている。
深
(
ふか
)
代
(
しろ
)
惇
(
じゅん
)
郎
(
ろう
)
「天声人語」
作者紹介:
深代
惇郎(
1929
~
1975
)、東京の生まれ
。
1953
年
3
月東京法大学部卒
業。同年
4
月朝日
新聞入社。横浜支局員、東京本社社会部員、ロンドン、ニューヨーク
各特派員、東京本
社社会部次長などを経て、
1969
年論説委員(教育問題担当
)、
1971
年ヨーロッパ総局長、
1
973
年
1
月論説委員、
同年2月から
1975
年
1
1
月
1
日入院する
まで「天声人語」を執筆した。
1975
年
12
月
17
日、急性骨髄性白
血病のため死去。
春暖迟迟
生活在忙忙碌碌的大都
市之中,会使人们对季节的感觉变得迟钝。恐怕要到在冬天里觉得稍稍有点单
薄的大衣不
再使人留意,甚至于厚厚的外套一下子重起来了才会有所察觉。这时,用心地审视四周,才发
现今天已确非昨日之冬季了。阳光的颜色也起了细微的变化。
连空地的废弃物上也淡
淡地,却毋庸置疑地闪耀着春天的光辉。铁皮屋顶或高楼大厦的玻璃所反射出
来的阳关的
颜色,也让人觉得与前些天不一样了。在严寒几度复辟,春暖迟迟之际,大自然那丝毫不为此
种伎俩所蒙骗的坚定的脚步,令人惟有惊叹而已。
“
花枝欲
动春风寒
”
(王维),虽然余寒还将延续,但冬
季已呈露老态,在逐渐给年幼的春天闪开道路了。
深代
惇郎
《天声人语》
作者介绍:
深代
惇郎(
1929~1975
)出生于东京。
1953
< br>年
3
月东京法大学部毕业。同年
4
月入朝日新闻社。历任横滨支局职员、东京本部社会部成员、伦敦、纽约特派员、东京
本部社会
部次长等职,
1969
年为评
论委员(负责教育问题)、
1971
年任欧洲总局长、
1973
年任评论委
员、同年
< br>2
月起直到
1975
年
11
月
1
日入院为止执
笔《天声人语》。
1975
年
12
p>
月
17
日,因
急性
骨髓性白血病逝世。
《金风》双语
野分
< br>(
のわき
)
漂泊の果てについに行きついた秋の落莫
(
らくばく
)
たるこころが、
どうして冬のきび
しい静けさに移り行けるであろうか。
秋と冬
の間の、
どうにも出来ぬ谷の底から吹き上げ
てくる、いわば季
節の慟哭
(
どうこく
)
とでも名付くべき風があった。
それは、日に何回となく、ここ中国山脈の尾根一帯の村
々を二つに割り、満目のくま
笹
(
ざさ
)
を揺るがせ、美作
(
みまさか
)
より伯耆
(
ほうき
)
へと吹き渡っていった。風道にひ<
/p>
そむ猪の群れ群れが、牙
(
が
)
をため地にひれ伏して耐えるのは、石をも総毛
(
そうけ
)
立
(
だ
)
たせるその風の非常の凄まじさ
ではなく、
それが遠のいて行った後の、
うつろな十一
月の陽の白い輝きであった。
井上
靖
「詩集.北国」
金风
终于漂泊到了尽头的秋天那落寞的心,又是如何移居到冬天那严酷的寂静之中去的呢?有
一股风从秋
天与冬天之间难以逾越的谷底吹上来,它的名字或许该称为季节的恸哭。
p>
它一日数次,穿行于这里中国(注:日本中部)山脉尾根一带的村庄,将其一分为二,将满目的白斑
竹吹得枝叶乱摇,从美作一直吹到伯耆。金风所经之处,野猪一群一群的,将獠牙伸直了趴在地上,它
们
所要忍受的并不是那令石头也毛骨悚然的金风之凌厉,而是它远去之后十一月份那空虚
的白色阳光。
井上
靖
<
/p>
《詩集
·
北国》
《夏末》双语
夏の終わり
風も雲も、
夏から秋へゆっくり
動いている。
そうした自然のたたずまいに触れたくて、
山陰地
方へ小さな旅に出た。
くわっと照る太陽にも屋根瓦をてらてらとなめる日差しにも、<
/p>
夏の終わりの気配が濃い。
ススキがおいでおいでをしているのは
、
山の向うの秋風にちが
いない。
草木の葉を鳴らしているのは
、この間までのじとじとと、けだるい大気ではない。入
道雲
(
ゆううどうぐも
)
の塊は、流れるよう
にぼけてきた。くっきりと青空に刻み込んだ、
あの輪郭を失いつつある。
夜のあぜ道を歩くと、
ホタルがすいっと横切る。
その下に枝豆
がある。
手を触れたら、
豆が飛び出すのではないかと思わせるほど、
はち切れんばかりだ。
深代
惇郎
「天声人語」
夏末
风也好,雨也罢,都在不慌不忙地从夏天走向秋天。为感受这大自然的行状,我去了山阴
地区(注:
日本中部靠日本海的地区,指岛根、鸟取、兵库、山口等县靠日本海的不分)
,作一小游。无论是淡黄色
的太阳还是将房瓦抹的闪闪发亮的阳光,都已带上了浓浓的夏
末的况味。来啊!来啊!芒草在频频点首,
无疑,它是在召唤山那边的秋风。
吹响草
木枝叶的已不是前一阵子的那种湿乎乎令人懒洋洋的空气了。积雨云的云团如漂流般模糊起
来。曾经是那么清晰分明地镶嵌于蓝天轮廓,丧失殆尽,终于身形莫辨了。夜里,走在田梗上,常有萤火
虫
“
嗖
”
的一下,横窜而去。地里种有毛豆。豆荚长得鼓鼓涨涨的,仿佛用手一摸豆子便会破空而出一般。< /p>
深代
惇郎
《天声人語》
《夏日海滩》双语
夏の浜辺
浜の人出は少ない。海浜傘が一つも見られない。築山
(
つきやま
)
の下をぬけると、す
でにそこは海水浴場の一角であるが、
浜を見渡して二十人と見られない。<
/p>
四人は波打ち際
に立ち止った。沖には今日も夥
< br>(
おびただ
)
しい夏雲がある。
雲は雲の上に累積している。
これほどの重い光に荘厳
(
そうげん
)
な質量が、空中に浮かんでいるのが異様に思われ
る。
その上部の
青い空には、箒
(
ほうき
)
で掃いた後のような軽やかな雲が闊達
(
かったつ
)
に延び、
水平線上にわだかまってい
るこの鬱積
(
うっせき
)
した雲を見下ろしている。
下部
の積雲は何ものかに
耐えている。
光と影の過剰を形態で覆い、
いわば暗い不定形な
情欲を
明るい音楽の建築的な意志でもって引き締めているように思われる。
海はその雲の
真下から、こちらへ向かって、殆ど偏在している。海は陸地よりもはる
かに普遍的で、
入り江も海を捉
(
とら
)
えているという印象を与えない。
殊にここの湾口<
/p>
(
わ
んこう
)<
/p>
は広いので、海で正面からすべてを犯しているように見えるのである。波が持ち
上がる。崩れようとする。崩れる。その轟
(
と
どろ
)
きは、夏の日光の苛烈な静寂と同じも
< br>のである。
それはほとんど音ではない。
耳を劈
(
つんざ
)
く沈黙とで
も言うべきである。
そ
して四人の足許には、
< br>波の叙情的な変身、
波とは別なもの、
波の軽やかな自嘲
とも言うべ
き、名残の漣
(
さざなみ<
/p>
)
が寄せては退
(
しりぞ
)
いている。
三島
(
みし
ま
)
由紀夫
(
ゆきお
)
「真夏
(
まなつ
)
の死
(
し
)
」
作者紹介:
三島
由紀夫(
1925
~
1970
)小説家、劇作
家、本名平
(
ひら
)
< br>岡
(
おか
)
公
(
きみ
)
威
(
た
け
)
。東京生まれ。東京大学法学部を卒業。学習院高等科在学中の昭和
16
年に、「花盛
りの森」を発表。このころから日本浪漫
派の影響をうける。昭和
24
年「仮面の告白」を
刊行し、作家としての地位を築く。昭和
29
年「潮
騒
(
しおざい
)
」で新潮社文学賞を、
30
年「白蟻の巣」で岸田演劇賞を、
31
年「金閣寺」で、
36
年「十日の菊」でそれぞれ読売
文学賞を受賞するなど、
< br>小説、
戯曲、
評論の分野で幅広く活躍。
主な作品に、
上記のほか、
「豊饒
(
ほうじょう
)
の海」、「愛の渇
き」、「宴の後」、「鏡子の家」などがある。
夏日海滩
海滩上人影稀疏,
连一顶
遮阳伞都没有。
钻过假山,
就来到了海边浴场的一角,
但海滩上一眼望过去,
也不满二十个人。我们四人在岸边站定了身躯。今
天的洋面上也是夏云密布,层层叠叠。
在这么沉闷的阳光中,那厚实的云层悬浮在空中,
给人一种异样的感觉。
云层上面的蔚蓝的天空中,轻飘飘的云彩如同用扫帚扫过后剩下来的一样,远远地铺展开
去,俯视着
蜷缩在水平线上的郁积的云层。下部的层积云好像在忍受着什么。它用其身姿
覆盖了过剩的光和阴影,就
同用明快音乐的建筑般的意志,抑制着阴暗无形的情欲。
p>
从云层的正下方到我们立足之处,大海无所不在。大海比陆地更广阔,海湾也不会给人一种地抓住大
海的印象。尤其是这里的海湾特别的宽,所以看起来就像大海在从正面扑来冲刷着一切。大浪高高涌起
,
又摔下去,摔得粉身碎骨。那巨大的轰响,是和夏日阳光那酷烈的寂静一样的。几乎已
不是声音了,可以
说是震耳欲聋的沉默。同时,在我们四人的脚下,海浪那抒情化了的变
形、有别与波浪的、甚至可说是波
浪的淡淡的自嘲、依依不舍的微波细浪,靠近前来又悄
悄地退去。
三岛
由纪夫
《盛夏之死》
作者介绍:
三岛
由纪夫(
1925~1970
)小说家、剧作家、本名平冈公威。出生于东京。东京大学法学<
/p>
部毕业。昭和
16
年,在学习院高等科就
读时发表了《鲜花盛开的树林》。从此时起便受到日本浪漫派的
影响。昭和
24
年,刊行了《假面具下的表白》,建立起了作家的地位。昭和
29
年因《潮涌》获新潮社文
学奖,昭和
30
年因《白蚁巢》获岸田演剧奖,昭和
31<
/p>
年以《金阁寺》、昭和
36
年以《十日菊
》分别获
得读卖文学奖,广泛涉足于小说、戏曲、评论等领域。主要作品如上述外,还有
:《丰饶的大海》、《爱
的饥渴》、《宴会之后》、《镜子之家》等等。
《万紫千红》双语
p>
千紫万紅
(
せんしばんこう
)
都会では、カン
ナやキョウチクトウが赤い炎を、干天
(
かんてん
)
の大地に燃え上がら
せている。
< br>だがその後ろにある青空の雲は、
薄く、
やさしげな姿に
変わり始めた。
四季と
りどりの花、
千
紫万紅という。
花を見て、
なぜその色や形のかくも美しく、<
/p>
かくも多様な
のかを思う。私たちを楽しませてくれる為に、花が
美しいのではあるまい。
<
/p>
花が咲き競うのは、
雄
(
お
)
しべの花粉を雌
(
め
)
しべの柱頭
(<
/p>
ちゅうとう
)
に運んでくれる
虫を誘うために、
とどの本にも説明してある。
派
手な花びらをつけ、
香りを放って虫を呼
ぶのは、
女性が美しく装い、
香水をつけて異性をひきつけるのに似ている。
夕暮れに咲く
花が
夜目
(
よめ
)
に目立つ白や淡色の花をつけたり、
強い香りをもつのも、
夜の
装いのエチ
ケットに合っている。
深代
惇郎
「天声人語」
万紫千红
都市里,美人蕉和夹竹桃在干燥的大地上燃起了红
红的火焰。然而,在其身后,蓝天上的云朵已开始
变淡且柔和起来了。四季里繁花种种,
人所谓万紫千红。赏花之余不免想到,花之形色为何如此动人,如
此缤纷。花之美丽,大
概不会是为了取悦于我们吧。
花儿竞
相绽放只为吸引将其花粉从雄蕊传到雌蕊的昆虫,不管哪本书上都是这么说的。装点起艳丽的
花瓣、释放出香味儿来吸引昆虫,这与女性艳服浓妆、喷涂香水以吸引异性的手法相类似。黄昏里开放的 p>
花朵,为了在暮色中显露自己或开出白色、淡色的花瓣,或带有浓郁的香气,这一切也与人们
晚妆打扮的
规矩一般无二。
深代
惇郎
《天声人語》
《初春》双语
一雨ごとに暖かさを増
して行く二月の下旬から三月のはじめへかけて桜、
梅の蕾も次第に
膨らみ、
北向の雪も漸く溶け、
灰色な地には黄色を増して
きた。
楽しい春雨の降った後で
は、
湿
った梅の枝が新しい赤みを帯びて見えた。
長い間雪の下になっていた草屋根の青苔
p>
も急に生き返る。
心地の好い風が吹いてくる。
青空の色も次第に濃くなる。
あの羊の群れ
でも見るような
、さまざまの形した白い黄ばんだ雲は、あだかも春の先駆をするように、
微かな風に送
られる。
< br>私は、春らしい光を含んだ西南の空に、この雲を注意して望んだことがある。ポット
くもの形が現れたかと思うと、
それが次第に大きく、
長く
、
明らかに見えて南へ動くに随
って消えて行く。
すると復、
第二の雲の形が同一の位置に現れる。
そ
して同じように展開
する。
柔らかな乳清
(
にゅうせい
)
の色の空に、
少し灰色の影を帯びた白い雲が遠く浮かん
だのは美しい。
島崎
藤村
「千曲川のスケッチ」
初春
一场春雨一阵暖,自二月下旬到三月初,樱花、梅花的花蕾渐渐饱满起来。背阴处的雪也
终于开始融
化,灰色的大地上凭添了些许黄色。令人欣喜的春雨的过后,湿漉漉的梅花枝
条上已露出了新红。在雪下
压了许久的草檐上的青苔也在倏忽之间恢复了生机。软风吹来
,心旷神怡。蓝天的颜色也越来越深了。那
羊群似的各式各样的,黄白色的云朵,宛如春
天的先驱,乘着微微的轻风,纷纷飘来。
我曾专心地观望过饱含春光的西南天空中的那些云朵。往往它
“
啪
”
地一下刚刚显露身影,就不断地变
大、伸长、清晰可见,在向南飘移的行程中渐次消陨。然后,第二朵云又在同一位置上形成,同样地生长 p>
开来。那些略带些灰影的白云远远地漂浮在柔和的淡蓝色的天空中,美丽异常。
岛崎
藤村
《千曲川小景》
《玉米》双语
トウモロコシ
夕暮れ、トウモロコシの葉を静かにゆすり風が快い。そ
れにしても、この夏、おいし
いトウモロコシに出会わないのは運が悪いせいだろうか。
甘いだけで中身がさくさくして
いたり、
ただ歯ごたえがあるだけだ。
夏の日を濃縮したような匂いや、
歯について離れ感
触がない。
味わいは薄っぺらなくせに、外見だけは粒をそろえて見
栄えがよい。あのトウモロコ
シは、どこに行ってしまったのだろう。。
深代
惇郎
「天声人語」
玉米
黄昏中,晚风轻轻地吹动着玉米叶子,令人心旷神怡。然而,或许是运气不佳的缘故吧,
今年夏天却
没有品尝到美味的玉米。我所吃到的都是一味的甜,内质松松的,吃在嘴里有
点儿嚼头而已。而全然没有
那种浓缩了夏季的芳香和留齿难忘的口感。
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今年的玉米,
味道不怎么样,卖相却长得不错,一个个颗粒饱满的样子。我记忆中的玉米,又到哪里
去
了呢?
深代
惇郎
《天声人语》
蝴蝶效应(双语)
バタフラ?効果。
蝶々
(ちょうちょう)
の羽ばたきのよ
うに、
ほんの小さな動きが時間と
ともにどんどん広がって、大
きな現象を生み出すことがある
前三重県知事の北川正恭早大マニフェスト研究所長がよく使う、カオス理論の言葉
だ。
例えば選挙の開票作業のスピード?ップはそれ自体、
小さな羽ばたきでしかない。
だ
が、マンネリ化した「お役所仕
事」を見直す大きな動きにつながると
人口約24万人の東京都府中市には市長選で開票時間わずか33分の記録がある。
隣の多摩市もこれにならい、
昨年4月の市長選は46分で開票を終えた。<
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こんな動きを全
国に広めたいと北川氏は言う
何も特別なことではない。スリッパではな
く運動靴で、立って軽快に作業する。開
< br>票台を増やし、
腰が痛くならないよう高さを調節する。
票の仕分け方を工夫する。
職員一
人一人が迅速化を心がける。
何よりも数値目標をはっきり設定するのが重要だ
全国の自治体で統一地方選の準備がピークを迎え
ている。この春、役所の意識改革
という蝶々がどこかで見られるかも知れない。
蝴蝶
效应。象蝴蝶展翅那样,极小的动作会随时间的过去逐渐地扩大,最后产生
“
大现象
”
。
这是前三重県知事、早稻田大学
< br>“
政权宣言
”
研究所所長北川正
恭常用的关于混沌理论的一个词汇。比
如,他说,选举点票操作中的
“
提高速度
”
本身就只是
“
小动作
”
而已,但却
与改变公式化的
“
政府办事作风
”
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之
“
大动作
”
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密切相关。
東京都府中市人口约24万人,市长选举的点票时间曾有过仅用
33
分钟的纪录。毗邻的多摩市也效
仿之,在去年
4
月的市长选举中,用
44
分钟就完成了
点票。北川希望这种做法在全国广为推行。
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这种做法并不是什么特别复杂的做法。只不过是,把穿拖鞋改为穿运动鞋,使站立轻松,动作
利索;
增加点票台的数量,并调整其高度,使职员的腰部不易劳累;在票的分类方法上下
工夫
;
每个职员把
“
< br>提高
速度
”
铭记于心
;
最重要的是设定明确的数值目标。
人们常说,点票操作中准确重于速度,但北川对此
持反对意见:
“
如果集中精力进行操作,就不会产
生错误。以前处理疑问票很花时间,这只能是一个原因,那就是,事先没有考虑周全的对应措施,居民
服
务做得不到家。
”
眼下迎来了全国自治体統一地方选举准备的高峰期
。今春,也许能够在某处看见
“
政府观念改革
< br>”
这只
蝴蝶翩翩飞起。
《北国之春》双语
北国の春
道の両側は六月で李
(
すもも
)
の花が強く匂いながら咲いていた。
藪
(
やぶ
)
の中で李の
枝
繁
(
しげ
)
みは、
細かい紙片を集めたような真白い花がつけ、
風のない日光の中にひっそり
と咲いていた。
その
匂いが私の頭を重たくした。
虎杖
(
い
たどり
)
の葉がほぐれたばかりの
新鮮
な色で揺れた。
崖
(
がけ
)
の下の人家の方で、
犬が吼えていた。
海岸まで続いているそ
の長い道には人影がなかった。
私はステッキを振り上
げて、頭上の李の花の一番濃く群れっている処を殴りつけた。
枝が折れて、花弁
(
はなびら
)
がくるくる
と回転して、藪影に目に見えずにあった蜘蛛
の巣にかかった。
私は足元の李の枝を藪の中へ蹴飛ばしてまた歩き出した。
誰もそれに気
づいていないことが私をまだ落ち着かせなかった。
私はどこかに閑古鳥
(
かんこどり
)
の鳴
き声を聞いたように思った。
落葉松
(
からまつ
)
の新しい芽の吹いた林の方で鳴いているらしかっ
た。それは北国の
春であった。父の病気を取り巻いて私を育てた北国の自然は春の真盛
りなのだ。
空気は暖かくよどんで、黒い掘り返された畑の間の林檎の花や牛や馬や鶏などを暖め
< br>ていた。
それは頭痛持ちの母を悩ます季節であり、
私と
弟とが霞み網を持って渡り鳥を捕
まえるために夕暮れの岡で時間を忘れた季節であった
。
-tits
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